
当時はまだ馬齢が数え年だったため、「朝日杯3歳ステークス」というレース名であった。
新馬戦2戦連続で2着、3戦目で未勝利を脱出し、臨んだ朝日杯では5番人気。レースは2番人気のサクラサエズリが1000m通過56秒9のハイペースで逃げ、アイネスフウジンは楽に2番手につける。直線でサクラサエズリを捉え、2馬身半突き離し優勝。そのタイムはマルゼンスキーが記録した1分34秒4と同タイム。
マルゼンスキーは8戦8勝の無敗で引退した歴代最強馬の1頭。朝日杯では2着と13馬身差でレコード勝ち。持ち込み馬だったマルゼンスキーは当時のルールにより、クラシックをはじめとした主要レースはほとんど出走できず。出走可能なレースに登録しても、他調教師がマルゼンスキーの強さに恐れをなして、そのレースを回避するため、レース成立が常に危ぶまれていた。そのため、8戦中半分の4戦が出走馬5頭となっている。
このマルゼンスキーと肩を並べたことで、アイネスフウジンの評価は一気に上昇。私もクラシックはアイネスフウジンを中心視することに決めた。
その後、共同通信杯4歳ステークスを快勝し、皐月賞前哨戦の弥生賞へ駒を進めるが、不良馬場がたたり、メジロライアンの4着。迎えた皐月賞も、スタート直後にホワイトストーンが大きく内によれたことで前をカットされ逃げられず、ハクタイセイの2着。すっきりしないレースが続く。
そして、いよいよ迎えた日本ダービー。22頭立ての12番枠からスタートし、得意の速めの逃げに持ち込んだ。1000m通過が59秒8。ここから2ハロンは12秒4、12秒6と一息入る。残り1000mは、12秒1、11秒8、11秒8、12秒1とギアチェンジ。勝負所でハクタイセイ、カムイフジといった後続を一気に突き離す。最後の1ハロンはさすがに12秒7と脚が上がったが、メジロライアンを1馬身1/4抑えて優勝。
バブル経済絶頂期に20万人弱という中央競馬史上最高の観客動員を記録。自然発生的に起こった「ナカノ」コール。この歴史的な日も朝日杯3歳ステークスの優勝からつながったもの。今年の朝日杯フューチュリティステークスも、アイネスフウジンを偲びながら楽しみたいと思う。